小倉のすいな

推拿の歴史

1.春秋戦国,秦,漢時代

推拿は、中国において二千年前の春秋戦国時代より広く使われていました。
秦・漢時代の《黄帝内経》に既に推拿による痺証や萎証や口眼のゆがみ、胃痛などの治療について記載されています。当時はまだ推拿という言葉はなく按摩と呼ばれていました。現在でも推拿のことを按摩、按摩推拿と呼ぶこともあります。(ただこの按摩は日本で言う按摩とは似て非なるものであり、『日本式按摩』は遣隋使や遣唐使によって輸入された『中国式按摩』が千年以上の月日をかけ日本独自のものとなったものです。この二者の決定的な違いは、中医学の理論に基づいているか否かにあり、『中国式按摩』はあくまで治療・養生目的なのに対し、『日本式按摩』は慰安目的と言わざるを得ません。)中国における最初の按摩の専門書は、《黄帝岐伯按摩十巻》といい秦・漢時代に完成されました。

2.魏・晋・隋・唐時代

魏・晋・隋・唐時代には按摩を専門とする医師が養成され、按摩の専門の診療室も出現しました。
特に隋時代以降は按摩博士という職務が設立され、さらに唐時代になると按摩医師も按摩博士、按摩師、按摩工などの階級に分けられるようになり、この時期に中医学は日本、朝鮮、インドなどの国に伝わりました。

3.明,清時代

明時代になり、初めて『推拿』という名称が出現する。このころから、按摩で小児を治療することを『小児推拿』と呼ぶようになります。按摩を推拿と称するのはその時の小児推拿という名称から始まったとされています。また、明・清時代には推拿の専門書が多く出版され、傷科八法などの言葉も使われるようになりました。

4.現代

中華人民共和国になってから推拿はさらに重視されるようになり、1956年上海に推拿学の養成クラスを開設、1958年に推拿の専門病院をつくり推拿の専門学校を設立しました。1979年上海中医学院(現 上海中医薬大学)に鍼灸推拿系(学部)が設置され、同年上海で全国初の推拿学術交流会が開催され全国二十七個省市から108人の代表が出席、九十八編の論文が発表されました。1982年北京中医学院(現 北京中医薬大学)に鍼灸推拿系が設置され、以降他の中医学院にも鍼灸推拿系は設置されました。20世紀後半より単科大学だった『中医学院』は格上げされ『中医薬大学』となり、現在、中国各地にある中医薬大学には鍼灸推拿系が設置され、中医院には、鍼灸科と並んで、推拿科が設置されています。(中国には、中医学専門の『中医院』、西洋医学専門の『西医院』、中医学と西洋医学の合わさった『中西医結合医院』があります。)

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